解説!鎌倉時代の執権政治
このページの歴史年表
時代 | 年代 | 主なことがら |
鎌 倉 時 代 | 1192 | (鎌倉幕府ができる) |
1219 | 3代源実朝が亡くなる | |
1221 | 承久の乱 | |
1232 | 御成敗式目 | |
1274 | 文永の役 | |
1281 | 弘安の役 | |
1297 | 徳政令 | |
1333 | (鎌倉幕府がほろぶ) | |
登場人物やキーワード | ||
北条氏 執権 執権政治 後鳥羽上皇 北条政子 北条泰時 モンゴル帝国 チンギスハン フビライハン 元寇 北条時宗 |
北条氏の執権政治がはじまる
鎌倉幕府を立ちあげた源氏は、3代将軍の源実朝が殺されてほろびました。
源氏がほろぶと北条氏は、都合のよい人物を将軍にさせて、自分は執権という位につき政治を行いました。これを執権政治といいます。
鎌倉時代は、長いあいだ北条氏が執権政治で国を動かすこととなります。
北条政子と後鳥羽上皇(1221年の承久の乱)
政治の力を鎌倉幕府にとられた朝廷は、再び力を取りもどすチャンスをうかがっていました。
源実朝が殺されたと知ると、後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒すため動きます。1221年に後鳥羽上皇は、執権の位についた北条義時を討つ命令を出しました。
これに対し源頼朝の妻だった北条政子は御家人を説得し、朝廷(京都)との戦に向かわせました。この戦いを1221年の承久の乱といい鎌倉幕府の軍が勝ちました。
>北条政子は、源頼朝が御家人にあたえた「ご恩」がどれだけ大きかったかを説き、御家人を説得して戦に向かわせたといわれています。
京都に六波羅探題が設置される
承久の乱で勝った鎌倉幕府は、京都の上皇が持っていた土地を占領しました。そして朝廷や西日本で反発してくる勢力を見はるため、六波羅探題という役所を京都に設置しました。
>戦に負けた後鳥羽上皇は、島根県の隠岐の島へ流されました。
1232年に御成敗式目がつくられる
鎌倉幕府は、北条泰時が3代目の執権についている1232年に、御成敗式目を定めました。
<御成敗式目とは?>
御家人(武士)が守ることや裁判の行い方など国をおさめるルールが定められ、貞永式目ともいわれます。
強いモンゴル帝国があらわれる
13世紀にはいり、チンギス・ハンがひきいたモンゴル民族がモンゴル帝国を築きました。
モンゴル帝国はヨーロッパや西アジアの一部、ロシアの南部や中国をふくむ巨大な帝国となりました。
↑モンゴル帝国の最大勢力図
>チンギス・ハンが亡くなった後、中国やモンゴルの地域を除くエリアを4つに分け、それぞれを国(ハン国)としておさめさせました。
↑モンゴル帝国(4つのハンと元に分かれた後)
>チンギス・ハンの孫のフビライ・ハンは、大都(現在の中国の北京)を都にし、国の名を「元」としました。
「元」が攻めてきた(1274年 文永の役)
フビライひきいる「元」は、日本へ使者をおくり「元」に従うよう要求してきました。8代目の執権北条時宗はこれを断りました。
するとフビライは1274年、2万6千人の軍で日本に攻め込み、博多(福岡県)に上陸して戦いが始まりました。これを文永の役といいます。
↑文永の役のイメージ
>文永の役は、「元」の火薬攻撃などに日本側は苦しみましたが、とちゅうで暴風雨になったこともあり「元」の船は帰っていきました。
また「元」が攻めてきた(1281年 弘安の役)
文永の役から7年後の1281年、「元」は14万人の軍で日本にふたたび攻め込んできました。これを弘安の役といいます。
↑弘安の役のイメージ
>弘安の役は日本の御家人たちが日本を守ろうと活躍しました。またとちゅうで暴風雨となったこともあり「元」の船は帰っていきました。
「文永の役」と「弘安の役」をあわせて元寇といいます。
苦しくなった鎌倉幕府
元寇で鎌倉幕府は日本を守りましたが、新しく土地を占領したわけではありません。
日本を守るために戦ってくれた御家人に、ご恩としてあたえる領地がありませんでした。また、元寇の戦いにたくさんお金を使ったので、幕府にお金が無くなりました。
>幕府は、また「元」が攻めてくると考え、海岸に石がきを設置する工事などで守りを固めました。こういった工事にも多くのお金がかかりました。
>元は3度目の日本攻撃をもくろんでいましたが、フビライハンが亡くなってからは、日本へ攻め入ることはありませんでした。
不満のたまった御家人
元寇で戦に参加し、たくさんの犠牲をだして日本をまもった御家人たちは、ご恩があたえられず不満をいだきました。また、御家人もお金が無くなってきました。
1297年に幕府は、御家人の借金を帳消しにする命令をだしました。これを徳政令といいます。
>徳政令で御家人の借金はなくなりました。しかし徳政令がまた出されると困るので、その後は誰も御家人にお金を貸さなくなりました。信用を失った御家人は、ますます苦しんだといわれています。
解説!「09.北条氏 鎌倉時代の執権政治」おしまい
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