解説!武士誕生と平氏の繁栄
京の都を中心に貴族がはなやかな生活していた平安時代。貴族は自分たちのことばかり考え、政治は乱れていきました。とくに都から遠い地方では、領地の奪いあいまでおこっていました。
苦労して切りひらいた田畑などの領地を、無理やりに奪われてはたまりません。地方で領地をもつ豪族たちは、家来に武器を持たせ敵にそなえました。これが日本の武士のはじまりといわれています。
このページでは、やがて力をつけ、そして大きくまとまっていく武士について取りあげています。
このページの歴史年表
時代 | 年代 | 主なことがら |
平 安 時 代 | 935 | 平将門の乱 |
939 | 藤原純友の乱 | |
1016 | (藤原道長が摂政) | |
1017 | (藤原頼道が摂政) | |
1051 | 前九年の役 | |
1083 | 後三年の役 | |
1086 | 白河上皇が院政 | |
1156 | 保元の乱 | |
1159 | 平治の乱 | |
1167 | 平清盛が太政大臣 | |
1185 | (平氏がほろぶ) | |
登場人物やキーワード | ||
国司 豪族 武士 武士団 源氏 平氏 日宋貿易 宋銭 源頼朝 |
地方の乱れ
平安時代、地方で政治をおこなう国司の中には、税を無理にとったり、土地をうばったりと自分勝手な政治をするものがあらわれました。また、豪族どうしで土地の奪いあいなどもおこっていました。
<国司とは?>
地方の政治を朝廷からまかされた役人で、貴族がその役につきました。
<豪族とは?>
それぞれの地方で、大きな土地やたくさんの財産を持つ有力者のことです。
武士のおこり
このように乱れた社会で、豪族などは自分の土地を守るため、家族や家来に武器をもたせ、武芸のけいこをさせました。こうして日本の武士が誕生しました。
>武士は、京の都でも朝廷や貴族の警備をまかされるなど、活やくの場をひろげていきました。
>武士はやがて、力のある武士を中心に「武士団」といわれる大きなまとまりをつくっていきます。
武士の反乱と成長
しだいに力をつけた武士の中には、朝廷や貴族に反乱をおこすものがあらわれました。
▼935年に関東地方で、平将門が一族どうしの争いから発展し、国司の役所を焼きうちにして朝廷を敵にまわしました。
▼939年に瀬戸内海の地域で、もともと国司だった藤原純友が仲間をあつめ、国司の役所をおそう反乱をおこしました。
このような反乱をしずめたのも、戦いが得意な武士たちでした。戦いをくりかえすうち、武士団の中でもとりわけ源氏と平氏が力をもちました。
源氏の活やく
朝廷や貴族には、各地でおこる反乱をしずめる力はなく、武士に協力を依頼しました。武士は、朝廷や貴族にその地位が認められるようになってきました。
源氏は、東北地方でおこった乱をしずめ東日本で勢力を強めました。
▲前九年の役(1051~1062)
東北地方の豪族(安部氏)が反乱をおこし、それを源頼義(源氏)がしずめに行きました。
▲後三年の役(1083~1087)
前九年の役の後に東北で力をもった清原氏が、1083年に一族どうしで争いをはじめました。源義家(源氏)の助けを受けた清原清衡が勝ちました。
>清原氏は藤原氏に名前を変え、その後100年間にわたって奥州藤原氏として力を持ちました。
院政がはじまる
1086年、白河天皇は天皇をしりぞき、上皇という位について政治にかかわりました。これを院政といいます。
>上皇の住まいを「院」と呼ぶことから、院で行う政治という意味で「院政」といわれました。
>院政がはじまると、天皇と上皇のどちらが政治を行うかで争いがおこりました。
1156年 保元の乱
1156年に後白河天皇と崇徳上皇が、政治の力をめぐって争いました。これを保元の乱といいます。
>保元の乱は、藤原氏の一族争いもまじり、源氏・平氏それぞれを巻き込んで大きな戦いになりました。そして後白河天皇側が勝利しました。
1159年 平治の乱
1159年、保元の乱で後白河天皇の味方だった平清盛(平氏)と源義朝(源氏)が争いました。これを平治の乱といいます。
>平治の乱は平清盛が勝利し、源義朝は殺されました。
>源義朝の子の源頼朝は伊豆(静岡県)へ流されました。
「平治の乱」で勝った平清盛は、武士で一番になりました。
1167年 平清盛が太政大臣に
平清盛は1167年、武士の一番上の位である太政大臣となりました。
藤原氏の力がおとろえていく中で、平清盛は娘を天皇と結婚させ、天皇の親戚になって政治に力を持ちました。これは、藤原氏がさかえたのと同じやり方です。
平氏は「平氏にあらずんば人にあらず(平氏でなければ人ではない)」というほどでの栄えぶりでした。
このころ中国では、唐のあとに国をおさめた宋がありました。平清盛は港(現在の神戸港)を整え、宋とさかんに貿易を行いました。これを日宋貿易といいます。
>日宋貿易の輸入品には宋銭などがあります。
平氏への反感
平清盛は貴族だった藤原氏のような振る舞いをしていたので、武士や貴族の反感をかいました。
「平治の乱」で殺された源義朝の子である源頼朝は1180年、平氏と戦うために立ち上がります。
解説!「07.源氏と平氏 武士誕生と平氏の繁栄」おしまい
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