卑弥呼|日本史で最初に登場する女王|小学生へ歴史解説

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見出しアイコン51解説!なぞ多き女王

 

卑弥呼ひみこが生きていたころの日本には文字がなく記録が残っていません。卑弥呼のことは、中国の古い書物に書かれています。この書物で日本は「」という名前で呼ばれています。



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卑弥呼 2世紀後期~3世紀前期(247年ごろ)

世紀せいきごろの日本は、100以上の小さな国に分かれていて、2世紀の後半ごろになると国どうしのあらそいがひどくなりました。そんな中で1人の女性じょせいをトップにして30あまりの小国しょうこくをあわせて支配しはいしたのが邪馬台国やまたいこくで、トップの女性が今なおなぞの多い卑弥呼ひみこです。

 

 

 

いまだに謎の多い女王

卑弥呼は神さまのおげを聞いたり、うらないをして国の政治せいじのやりかたを決めていました。ずっと結婚けっこんせずにやかたにこもって神さまにおつかえし、みんなの前には出ていかず、わりに卑弥呼の弟が食事をはこんだり、卑弥呼の言ったことをみんなに伝えたといわれています。

 

 

 

中学生以上はここも読んでね!

 中国の歴史書「魏志倭人伝ぎしわじんでん」には、「鬼道きどうをこととし、よく衆をまどわす」と書かれており、呪術(まじない)を行いその才能のある巫女みこ(神に仕える女)として宗教と政治をつかさどっていました。

 卑弥呼は239年と243年に使者を(中国)の皇帝に送り、魏から「親魏倭王しんぎわおう」という称号と、金印(金でできたハンコ)や銅鏡などをおくられています。

 247年、卑弥呼が狗奴国くなこく(邪馬台国の南に位置する国で、邪馬台国とは何度も戦ったとされる。南九州地方が有力だがはっきりした国の場所はわかっていない)とあらそっていると、魏は邪馬台国を支援しました。

解説!「01.卑弥呼 なぞ多き女王」おしまい

 

 






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