歴史の解説! >01.卑弥呼
解説!なぞ多き女王
卑弥呼が生きていたころの日本には文字がなく記録が残っていません。卑弥呼のことは、中国の古い書物に書かれています。この書物で日本は「倭」という名前で呼ばれています。
卑弥呼 2世紀後期~3世紀前期(247年ごろ)
1世紀ごろの日本は、100以上の小さな国に分かれていて、2世紀の後半ごろになると国どうしの争いがひどくなりました。そんな中で1人の女性をトップにして30あまりの小国をあわせて支配したのが邪馬台国で、トップの女性が今なお謎の多い卑弥呼です。
いまだに謎の多い女王
卑弥呼は神さまのお告げを聞いたり、占いをして国の政治のやりかたを決めていました。ずっと結婚せずに館にこもって神さまにおつかえし、みんなの前には出ていかず、代わりに卑弥呼の弟が食事を運んだり、卑弥呼の言ったことをみんなに伝えたといわれています。
中学生以上はここも読んでね!
中国の歴史書「魏志倭人伝」には、「鬼道をこととし、よく衆をまどわす」と書かれており、呪術(まじない)を行いその才能のある巫女(神に仕える女)として宗教と政治をつかさどっていました。
卑弥呼は239年と243年に使者を魏(中国)の皇帝に送り、魏から「親魏倭王」という称号と、金印(金でできたハンコ)や銅鏡などをおくられています。
247年、卑弥呼が狗奴国(邪馬台国の南に位置する国で、邪馬台国とは何度も戦ったとされる。南九州地方が有力だがはっきりした国の場所はわかっていない)とあらそっていると、魏は邪馬台国を支援しました。
解説!「01.卑弥呼 なぞ多き女王」おしまい
- 「卑弥呼」のクイズに挑戦!
[クイズ1]
おすすめの解説ページ
02. 聖徳太子 ・・・ りっぱな政治家
03. 中大兄皇子 ・・ 大化の改新の主役
04. 聖武天皇 ・・・ 奈良時代の仏教政治
05. 桓武天皇 ・・・ 律令政治の立て直し
06. 藤原氏 ・・・ 平安時代の摂関政治