解説!第二次世界大戦と太平洋戦争
日本が中国と日中戦争をしていた同じころ、ヨーロッパでも大きな戦争がはじまり、日本はヨーロッパの国と同盟を組むこととなります。
このページでは、昭和の前半におきた第二次世界大戦について取り上げています。
このページの歴史年表
時代 | 年代 | 主なことがら |
昭 和 | 1931 | (満州事変) |
1933 | (国際連盟を脱退) | |
1937 | (日中戦争) | |
1939 | 第二次世界大戦 | |
1940 | 日独伊三国同盟 | |
1941 | 太平洋戦争 | |
1945 | 東京大空襲 | |
1945 | 広島・長崎に原爆 | |
1945 | ポツダム宣言 | |
登場人物やキーワード | ||
イギリス アメリカ 中国 ドイツ イタリア 真珠湾 沖縄 |
1939年 第二次世界大戦のはじまり
ヨーロッパでは1939年9月、ドイツがとなりの国ポーランドへ侵攻(攻めこむ)しました。ポーランドと同盟をむすんでいたイギリスやフランスは、ドイツと戦争になりヨーロッパで第二次世界大戦がはじまりました。
長引く日中戦争
日本と中国は1937年、中国のおおくの地域を戦場とする日中戦争をはじめていました。この戦争で中国は、イギリスやアメリカなどから支援をうけていました。
1940年 日独伊三国同盟
ヨーロッパとアジアでそれぞれ同じ敵をもったドイツ・イタリア・日本の3国は仲間として同盟をむすびました。この同盟を日独伊三国同盟といいます。
資源をもとめた日本
そのころの戦争では、石油や鉄などの資源が必要でした。しかし日本は資源がとれる地域をあまり持っていません。
日中戦争が長引いてくると日本は資源が不足しはじめたため、資源をもとめて東南アジアの地域へ力をひろげる動きをとりました。
>日本が資源をもとめた東南アジアの地域は、イギリスやフランス、アメリカなどが強いえいきょう力を持つ地域でした。そのため、イギリスやアメリカなどと日本の対立が強くなっていきました。
1941年 太平洋戦争のはじまり
日本が東南アジアへ進出することをきらったアメリカやイギリスは、オランダなどと協力し、日本に資源を輸出しないなどの対こう策をとりました。
これに対し日本は、1941年12月8日、アメリカのハワイにある、真珠湾のアメリカ海軍基地などを攻撃し、アメリカやイギリスと戦争になりました。この戦争を太平洋戦争といいます。
<太平洋戦争とは?>
太平洋戦争はおもに日本とアメリカが、東南アジアや太平洋の島々で戦った戦争で、第二次世界大戦の一部です。
1942年ごろ日本は、東南アジアや南太平洋のおおくの地域を占領しましたが、その後は反撃されて力が弱まっていきます。
1945年 東京大空襲や沖縄
反撃により太平洋の島々を占領したアメリカは、日本にある軍の基地や工場、都市を空から飛行機で攻撃しました。これを空襲といいます。
>1945年3月10日、アメリカ軍によって東京に大きな空襲が行われました。一晩で約10万人が亡くなったこの空襲を、東京大空襲といいます。
>沖縄は大きな戦場となり、兵隊だけでなく一般の人たちも戦争にまきこまれました。12万人以上の沖縄県の人が亡くなりました。
1945年 広島・長崎へ原爆
1945年8月6日に広島、8月9日に長崎へ原子爆弾(原爆)が落とされました。原爆によって20万人以上が亡くなり、その後もたくさんの方が後遺症に苦しんでいます。
1945年 ポツダム宣言と戦争の終わり
ヨーロッパの地域では、日独伊三国同盟をむすんでいたイタリアが1943年、ドイツが1945年5月、すでに降伏(戦争に負ける)していました。
日本はポツダム宣言を受けいれ、1945年8月15日に降伏することを発表しました。
これで太平洋戦争をふくむ第二次世界大戦はすべて終わり、同時に長くつづいた日中戦争も終わりました。
<ポツダム宣言とは?>
1945年7月にイギリス・ソ連・アメリカが、ドイツの都市ポツダムに集まり、戦争後のことについて決めた内容をポツダム宣言といいます。
ポツダム宣言によって日本は、北海道・本州・四国・九州とそのまわりの小さな島々だけを領土とすること、民主的な国に変わることなどが定められていました。
解説!「34.昭和の戦争② 第二次世界大戦と太平洋戦争」おしまい
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