解説!天下をおさめた仕組み
1603年に徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府がはじまりました。そして幕府に反対する大きな勢力の豊臣氏を1615年の大阪夏の陣でほろぼし、幕府に権力を集中させていきました。
このページでは約260年もの長い間、天下をおさめた江戸幕府のしくみについて取り上げています。
このページの歴史年表
時代 | 年代 | 主なことがら |
江 戸 時 代 | 1614 | (大阪冬の陣) |
1615 | 大阪夏の陣 | |
1615 | 武家諸法度 | |
1623 | 3代将軍徳川家光 | |
1635 | 参勤交代 | |
登場人物やキーワード | ||
徳川秀忠 徳川家光 幕藩体制 藩 御三家 親藩 譜代(大名) 外様(大名) 大名行列 |
1615年「武家諸法度」の制定
2代将軍の徳川秀忠の時、大名やその家来が守るルールを定めた「武家諸法度」が制定されました。
<武家諸法度とは?>
武家諸法度は、新しいお城をつくることを禁止したり、大名が幕府の許可なく結婚したり、仲間の大名と手を組んで幕府に反乱することが禁止されたりしました。
3つに区分された大名たち
領地が1万石以上の大名が、おさめている領地を「藩」とよびました。そして藩を3つの種類に分けました。
1.親藩
親藩は徳川家の一族(親戚)で、幕府の重要な役につきました。特に家康の子が大名となった紀伊(和歌山県)、尾張(愛知県)、水戸(茨城県)の3つの藩は、「御三家」といわれ特別な地位をあたえられました。
2.譜代
1600年の「関ヶ原の戦い」より前から徳川氏に従っていた大名を譜代(譜代大名)とよびました。譜代は江戸や京都など重要な場所の近くに領地があたえられ、幕府の重要な役職につくこともできました。
3.外様
「関ヶ原の戦い」の後に徳川氏に従った大名を外様(外様大名)とよびました。外様は主に江戸や京都などから遠い地域に領地があたえられ、幕府の重要な役職につけませんでした。
↑ おもだった大名の配置(1664年ごろ)
江戸幕府の政治のしくみ
江戸幕府は将軍を助ける役目の老中や、その老中を補佐する若年寄のほか、3つの奉行(三奉行)や大目付などの役がありました。
幕藩体制をととのえる
江戸幕府は、全国の土地を幕府が直接もつ領地の幕府領(幕領・天領ともいう)、1万石以上の大名の領地の藩領、1万石未満の旗本の領地である旗本領のほか、神社やお寺の領地、天皇の領地などに分け、全国の土地をおさめました。
こうした体制を「幕藩体制」といいます。
1635年 武家諸法度に「参勤交代」が加わる
1615年に制定されていた武家諸法度に、3代将軍の徳川家光は1635年、「参勤交代」の制度を加えました。参勤交代は大名の妻と子を江戸に住まわせ、大名自身は江戸と自分の領地を1年ごとに住みかえる仕組みです。
1年ごとに江戸と自分の領地を行き来する大名は、その引越しに多くのお金を使いました。大名が自分の家来をたくさん引きつれ、江戸と自分の領地を引越しのため歩く様を「大名行列」といいます。
江戸幕府は、「①大名が幕府に反乱して来ないよう妻と子を人質にとり」、また「②大名行列によってお金を蓄えさせない仕組み」を作り、幕府の安定をはかりました。
「関所やぶり」には重い罰
安定した政治を続けるため、幕府は江戸に武器が持ち込まれないよう、また人質としている大名の妻や子が江戸から逃げ出さないよう気を配りました。そのため、「関所」でしっかりチェックをし、もし関所を通らず裏道から通過するものを見つけた場合には、重い罰をあたえました。
解説!「17.江戸時代① 天下をおさめた仕組み」おしまい
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