17天下をおさめた徳川家と江戸幕府のしくみ|小学生の歴史クイズ

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見出しアイコン51解説!天下をおさめた仕組み

 

1603年に徳川家康とくがわいえやす征夷大将軍せいいたいしょうぐんとなり江戸幕府えどばくふがはじまりました。そして幕府に反対する大きな勢力せいりょく豊臣とよとみし氏を1615年の大阪夏のじんでほろぼし、幕府に権力けんりょくを集中させていきました

 

このページでは約260年もの長い間、天下をおさめた江戸幕府のしくみについて取り上げています。

 

このページの歴史年表

時代
年代
主なことがら



1614(大阪冬の陣)
1615大阪夏の陣
1615武家諸法度
16233代将軍徳川家光
1635参勤交代
登場人物やキーワード
徳川秀忠  徳川家光  
幕藩体制    御三家  
親藩  譜代(大名)  外様(大名)  
大名行列

 

 

1615年「武家諸法度」の制定

2代将軍の徳川秀忠ひでただの時、大名だいみょうやその家来けらいが守るルールを定めた「武家諸法度ぶけしょはっと」が制定されました。

 

武家諸法度とは?>

武家諸法度は、新しいおしろをつくることを禁止したり、大名が幕府の許可きょかなく結婚けっこんしたり、仲間の大名と手を組んで幕府に反乱はんらんすることが禁止されたりしました。

 

 

 

3つに区分された大名たち

領地りょうちが1万ごく以上の大名が、おさめている領地を「はん」とよびました。そして藩を3つの種類に分けました。

1.親藩しんぱん

親藩は徳川の一族(親戚しんせき)で、幕府の重要なやくにつきました。特に家康の子が大名となった紀伊きい(和歌山県)、尾張おわり(愛知県)、水戸みと(茨城県)の3つの藩は、「御三家ごさんけ」といわれ特別な地位ちいをあたえられました。

 

江戸時代(江戸と御三家の位置)画像

 

2.譜代ふだい

1600年の「関ヶ原の戦い」より前から徳川氏に従っていた大名を譜代(譜代大名)とよびました。譜代は江戸や京都など重要な場所の近くに領地があたえられ、幕府の重要な役職やくしょくにつくこともできました。

 

3.外様とざま

「関ヶ原の戦い」の後に徳川氏に従った大名を外様(外様大名)とよびました。外様は主に江戸や京都などから遠い地域ちいきに領地があたえられ、幕府の重要な役職につけませんでした。

 

江戸時代1664年(親藩・譜代・外様大名の位置)配置図

↑ おもだった大名の配置(1664年ごろ)

 

江戸幕府の政治のしくみ

江戸幕府は将軍しょうぐんを助ける役目やくめ老中ろうじゅうや、その老中を補佐ほさする若年寄わかどしよりのほか、3つの奉行ぶぎょう(三奉行)や大目付おおめつけなどの役がありました。

 

江戸時代のしくみ画像

 

 

幕藩体制をととのえる

江戸幕府は、全国の土地を幕府が直接もつ領地幕府領幕領ばくりょう天領てんりょうともいう)、1万石以上の大名の領地の藩領はんりょう、1万石未満の旗本はたもとの領地である旗本りょうのほか、神社やお寺の領地、天皇の領地などに分け、全国の土地をおさめました。

こうした体制を「幕藩体制ばくはんたいせい」といいます。

 

1635年 武家諸法度に「参勤交代」が加わる

1615年に制定されていた武家諸法度に、3代将軍の徳川家光いえみつは1635年、「参勤交代さんきんこうたい」の制度を加えました。参勤交代は大名のつまと子を江戸に住まわせ、大名自身じしんは江戸と自分の領地を1年ごとに住みかえる仕組みです。

 

1年ごとに江戸と自分の領地を行きする大名は、その引越ひっこしに多くのお金を使いました。大名が自分の家来をたくさん引きつれ、江戸と自分の領地を引越しのため歩くさまを「大名行列だいみょうぎょうれつ」といいます。

 

江戸幕府は、「①大名が幕府に反乱して来ないよう妻と子を人質にとり」、また「②大名行列によってお金を蓄えさせない仕組み」を作り、幕府の安定をはかりました

 

 

 

「関所やぶり」には重い罰

安定した政治を続けるため、幕府は江戸に武器ぶきが持ち込まれないよう、また人質としている大名の妻や子が江戸から逃げ出さないよう気をくばりました。そのため、「関所せきしょ」でしっかりチェックをし、もし関所を通らず裏道うらみちから通過つうかするものを見つけた場合には、重いばつをあたえました。

解説!「17.江戸時代① 天下をおさめた仕組み」おしまい