解説!社会の混乱と三大改革
長く続いた江戸時代には、社会の変化に対応し幕府の政治を安定させるため、何度かの大きな改革がおこなわれました。
このページでは、江戸幕府のもとで行われた改革や社会の変化について取り上げています。
このページの歴史年表
時代 | 年代 | 主なことがら | 改革 |
江 戸 時 代 | 1716 | 徳川吉宗が8代将軍 | |
1720 | 外国本の輸入許可 | ||
1721 | 目安箱を設置 | ||
1722 | 上米の制 | ||
1723 | 足高の制 | ||
1735 | 青木昆陽サツマイモ | ||
1742 | 公事方御定書 | ||
1772 | 田沼意次が老中 | ||
1783 | (浅間山の噴火) | ||
1783 | (天明のききん) | ||
1787 | 徳川家斉が11代将軍 | ||
1787 | 松平定信が老中 | ||
1789 | きえん令 | ||
1790 | 寛政異学の禁 | ||
1833 | 天保のききん | ||
1834 | 水野忠邦が老中 | ||
1837 | 大塩平八郎の乱 | ||
1841 | 株仲間の解散 | ||
1843 | 人返しの命令 | ||
1853 | (ペリーが黒船で来航) | ||
登場人物やキーワード | |||
三大改革 わいろ 百姓一揆 打ちこわし |
徳川綱吉「生類あわれみの令」
5代将軍の徳川綱吉は、動物や昆虫などの生き物を大切にする生類あわれみの令を出しました。
しかし極端に厳しい内容で、特に犬に関しては野犬の収容所をつくるため、住んでいる人達を強制的に引越しさせるなど、保護の仕方が過剰であったため「犬公方」といわれ非難されました。
新井白石「正徳の治」
徳川綱吉が亡くなり6代将軍となった徳川家宣、7代将軍の徳川家継は、学者の新井白石の考えを取り入れ政治を行いました。新井白石の政治を「正徳の治」といいます。
>新井白石はすぐに「生類あわれみの令」を廃止しました。また外国からの輸入品の代金を「金」や「銀」で支払うことで、国内の金や銀が少なくなってしまい、これを防ぐために輸入量を制限させたりしました。
江戸時代の三大改革
江戸時代には、享保の改革・寛政の改革・天保の改革という3つの大きな改革時代があります。これをあわせて「三大改革」といいます。
◆享保の改革
・・・1716年に8代将軍となった「徳川吉宗」が行った改革
◆寛政の改革
・・・1787年に11代将軍となった徳川家斉の時代、老中の「松平定信」が中心となった改革
◆天保の改革
・・・1841年~1843年に、12代将軍の徳川家慶の時代、老中の「水野忠邦」が中心となった改革
徳川吉宗「享保の改革」
幕府の財政(お金)がきびしい状態にある中、8代将軍の徳川吉宗は、初代将軍の徳川家康のころの政治を見本として「享保の改革」を行いました。
◆上げ米
・・・大名から領地1万石につき100石のお米を幕府におさめさせました。
◆足高の制
・・・身分が低くても能力の高いものが高い役職につけるようにしました。
◆外国本の輸入許可
・・・キリスト教の事柄が載っていない外国の本の輸入を許可しました。
◆目安箱の設置
・・・一般の人の意見を大名自らが聞けるように、目安箱を設置しました。
◆公事方御定書
・・・裁判が正しく行われるように基準となる事柄が定められました。
享保の大ききんと「さつまいも」
1731年から32年にかけ天候不良によって作物が不作となり、西日本を中心にたくさんの餓死者がでました。少ないお米のため値段が上がり、1733年に江戸で町人が米屋などをおそう「打ちこわし」がおこりました。
また農村でも、少ない収穫のお米から一定の年貢をおさめることに強い不満を持った百姓が一揆をおこし領主に対抗しました。
この天候不良の中にあってサツマイモは不作とならず、サツマイモを栽培していた地域では餓死者がでませんでした。これを知った徳川吉宗は、青木昆陽にサツマイモを研究させ、日本各地で栽培をひろめるよう命じました。
田沼時代
1772年に老中となった田沼意次は、同業者の組合「株仲間」をつくらせたり、輸出を奨励するなどの改革を行いました。
しかし田沼意次の改革は、幕府と、幕府に結びつきの強い商人だけが儲かるしくみとなり、商人が役人にお金をわたす「わいろ」がひろまって政治が乱れました。
松平定信「寛政の改革」
田沼意次のあとに老中となった松平定信は「寛政の改革」を行いました。1787年から7年間にわたった寛政の改革は、質素倹約が奨励され、財政(お金)と規律の立て直しがはかられました。
◆寛政異学の禁
・・・「朱子学」以外の学問を禁止しました。
◆囲米の制
・・・ききんに備えて、お米を蓄える決まりができました。
◆きえん令
・・・お金に困っている旗本や御家人の借金を減らす策を出しました。
天保の大ききんと「大塩平八郎の乱」
1833年から数年間、天候不良によって作物が不作となりたくさんの餓死者がでました。「打ちこわし」や「百姓一揆」がたくさん起こりました。
1837年、幕府の元役人だった大塩平八郎が、ききんで苦しむ人々を救おうと大阪で反乱をおこすなど、世の中は混乱しました。
天保の改革
老中の水野忠邦は、1841年~43年までの間に「天保の改革」を行いました。ききんや政治の乱れ、外国船が日本近海にあらわれるなどで混乱した社会を立て直そうとしますが、内容が厳しかったため反発がおきて、2年で改革は終わりました。
◆株仲間の禁止
・・・同業者で組合をつくり商売を独占する株仲間を解散させました。
◆人返し
・・・生活苦のため農村から都市に出てきた農民を、農村に戻させる命令を出しました。
解説!「22.江戸時代⑥ 社会の混乱と三大改革」おしまい
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