28明治時代|不平等条約の改正の動き|小学生へ歴史解説

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見出しアイコン51解説!不平等条約改正への動き

 

1858年にアメリカと結んだ日米修好通商条約しゅうこうつうしょうじょうやくは、日本に関税自主権かんぜいじしゅけんがなく、領事裁判権りょうじさいばんけんを認めた不平等な条約でした。日本はアメリカと日米修好通商条約を結んだ後に、イギリス・フランス・オランダ・ロシアとも、同じ不平等な内容で条約を結びました。これを安政あんせいの五か国条約といいます。

 

領事裁判権とは?>
・日本にいる外国人が犯罪を行っても、日本の法律で裁くことができませんでした。
関税自主権とは?>
・輸入品に対して日本は税金を自由に決められませんでした。

 

 

このページでは、不平等条約が改正かいせいされるまでのできごとや、活躍かつやくした人物を取り上げています。

※「日米修好通商条約」のくわしい説明はこちら→「江戸時代|ペリーの黒船来航と開国」



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このページの歴史年表

時代
年代
主なことがら
江戸
時代
1858日米修好通商条約
明治
時代
1868(明治新政府誕生)
1871岩倉使節団の派遣
1886ノルマントン号事件
1889(大日本帝国憲法)
1894領事裁判権の廃止
1904(日露戦争)
1911関税自主権の回復
登場人物やキーワード
岩倉具視  陸奥宗光  小村寿太郎  
領事裁判権  関税自主権

 

 

岩倉使節団の派遣

1871~1873年にかけて、岩倉具視いわくらともみを大使とする岩倉使節団しせつだんが各国をまわり、条約の改正について話し合いをしました。

 

 

 

1886年 ノルマントン号事件

1886年に和歌山県の沖合おきあいで、イギリスの船ノルマントン号沈没ちんぼつしました。この時、イギリス人の船員はボートにのがれて助かりましたが、イギリス人の船長は日本人を救出せず、日本人の船員は全員が亡くなりました。

 

ノルマントン号事件の風刺画
↑ ノルマントン号事件の風刺画

 

日本は領事裁判権を認めているため船長をさばくことができず、イギリスの裁判さいばんでこの船長は軽いばつを受けただけでした。

この裁判の結果を知った日本では、不平等な領事裁判権をなくそうとする動きが高まりました

 

 

1894年 イギリスとの間で領事裁判権が撤廃

1894年に外務大臣がいむだいじん陸奥宗光むつむねみつの働きで、イギリスとの条約の一部を改正し、領事裁判権が廃止はいしされました。

この後、アメリカ・フランス・オランダ・ロシアともに領事裁判権の廃止を認めました。

 

 

1911年 関税自主権の回復

1911年に外務大臣の小村寿太郎こむらじゅたろうの働きで、アメリカとの条約を改正し、関税自主権を日本が持つことになりました。イギリス・フランス・オランダ・ロシアとも同じく条約が改正されました。

これによって条約の不平等がなくなり、日本は欧米の国々と対等たいとうの立場になりました。

解説!「28.明治時代④ 不平等条約改正への動き」おしまい

 

 






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