解説!学問や文化の発展
鎖国をしていた江戸時代の日本では、独自の文化や社会がつくられました。また、鎖国中も船の入港を許可していたオランダを通じて、西洋のすすんだ学問を学ぶ機会がありました。
このページでは江戸時代の文化や今に残る文学・作品、オランダを通じて学んだ学問などについて取り上げています。
このページの歴史年表
時代 | 年代 | 主なことがら |
江 戸 時 代 | 1689 | 芭蕉が「奥の細道」出発 |
1720 | 外国本の輸入許可 | |
1774 | 杉田玄白「解体新書」 | |
1798 | 本居宣長「古事記伝」 | |
1802 | 「東海道中膝栗毛」 | |
1821 | 伊能忠敬の日本地図完成 | |
1824 | シーボルトの鳴滝塾 | |
1833 | 「東海道五十三次」 | |
登場人物やキーワード | ||
国学 蘭学 藩校 寺子屋 元禄文化 化政文化 松尾芭蕉 「奥の細道」 十返舎一九 「東海道中膝栗毛」 歌川広重 「東海道五十三次」 伊能忠敬 「大日本沿海輿地全図」 |
学問のひろがり
江戸幕府は儒学を中心に学問をひろめましたが、5代将軍の徳川綱吉(1646~1709年)は、儒学の中でも特に「朱子学」を奨励しました。
身分制度によって国を支配した江戸幕府にとって、朱子学は都合の良い学問だったといわれています。
藩校と寺子屋
各藩で武士の子が勉強する藩校がつくられ、そこで朱子学などが教えられました。また、藩校に通えない武士の子や、百姓・商人の子なども勉強できる寺子屋がひらかれました。寺子屋は「読み・書き・そろばん」を学ぶ所といわれました。
蘭学のひろがり
8代将軍の徳川吉宗は、キリスト教の事柄が載っていない外国の本の輸入を許可しました。鎖国の中でも貿易を続けていたオランダを通じて、ヨーロッパの進んだ学問を学ぶことを蘭学といいます。
解体新書を完成させた杉田玄白
杉田玄白は、ヨーロッパの医学書「ターヘル・アナトミア」を読み、自分達も本に載っているように死体の解剖を行いました。そして日本語に訳した「解体新書」を完成させました。
蘭学を教えたシーボルト
長崎のオランダ商館に勤務した医者のシーボルトは、長崎に「鳴滝塾」を開き日本人に医学や科学などの蘭学を教えました。
国学のはじまり
儒教や仏教が外国から伝わる以前の日本的な考えを、古い書物から探し出して研究する国学がはじまりました。本居宣長は国学で「古事記」を研究し「古事記伝」を作成しました。
江戸時代の文化
江戸時代の文化は、主に「元禄文化」と「化政文化」の時代に分かれます。
「元禄文化」・・・1600年代後半~1800年ごろに上方(大阪・京都)でさかえた文化
「化政文化」・・・1800年ごろ~1830年ごろを中心に江戸でさかえた文化
元禄文化のひろがり
1600年代の後半から、上方(大阪や京都)を中心にひろまった文化を元禄文化といいます。
産業が発展し、経済的に豊かになった大阪の町人などが支えた文化で、明るく活気のある文化です。
この時代には脚本家の近松門左衛門などがつくった「歌舞伎」や「人形浄瑠璃」が人気でした。文学では松尾芭蕉がつくった俳句「おくのほそ道」などが有名です。
化政文化のひろがり
江戸時代の後半に、江戸を中心にさかえた文化を化政文化といいます。
町人文化といわれ、しゃれ・こっけいが喜ばれました。元禄文化とくらべると、明るさや活気よりも、庶民的な感じが支持された文化です。
この時代には十返舎一九が書いた小説「東海道中膝栗毛」、歌川広重が描いた絵画「東海道五十三次」などが有名です。
正確な日本地図をつくった伊能忠敬
伊能忠敬は江戸幕府の命令を受け、正確な日本地図をつくるため全国を測量して歩きました。17年間かかって「大日本沿海輿地全図」という地図を作成していましたが、完成前に亡くなり、これを引き継いだ高橋景保が完成させました。
解説!「21.江戸時代⑤ 学問や文化の発展」おしまい
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