19江戸時代|身分制度の武士や百姓|小学生の歴史解説

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見出しアイコン51解説!武士や百姓の身分制度

 

豊臣秀吉とよとみひでよしが行った刀狩かたながりなどによって百姓ひゃくしょう(農民)と武士ぶしとの区別くべつをはっきりさせる「兵農分離へいのうぶんり」がすすみ、江戸時代にはさらに区別が強まりました。

 

このページでは、江戸時代の身分制度みぶんせいど武士や百姓それぞれの身分やくらしを取り上げています。

 

このページの歴史年表

時代
年代
主なことがら



1603(江戸幕府ができる)
1615(武家諸法度)
1625五人組の制度
1639(鎖国の完成)
キーワード
士農工商  武士  苗字帯刀  
百姓  村役人  五人組  
五公五民

 

 

江戸時代の身分制度

江戸時代の身分みぶんは、「士農工商しのうこうしょう」という4つの関係に分けられました。

  • ・・・武士  
  • ・・・百姓(農民)  
  • ・・・職人しょくにん(工業者)  
  • ・・・商人しょうにん

 

江戸時代(士農工商の割合グラフ)画像
↑ 江戸時代の終わりごろの人口構成

 

武士全体の7%百姓全体の84%の人口をしめました。

武士の子は武士、百姓の子は百姓となり、他の身分に変わることはほとんどできませんでした。

 

 

 

武士の身分の区別

武士は将軍しょうぐんをトップにして、御三家ごさんけ親藩しんぱん譜代ふだい外様とざまの大名に分けられ、さらに家系かけい(家がら)によっても上下の関係がありました。

>将軍の家来けらい直参じきさんといわれ、大名の家来とは区別されました。

>直参にも旗本はたもと(将軍に会える家来)と、御家人ごけにん(大名に会えない家来)がいました。

 

 

武士にだけ許された「苗字・帯刀」

武士は「苗字みょうじ帯刀たいとう」といって①苗字を名のること刀をさすことが許されました。武士は領地の百姓が年貢ねんぐをおさめ、これを主な収入源しゅうにゅうげんとして生活しました。

>武士は人口の7%しかいない中で百姓などをおさめるため、武器ぶきを持ち、武士に有利ゆうりな制度をつくって権力けんりょくたもちました。

 

 

村のしくみと百姓のくらし

百姓の村には村役人むらやくにんという百姓の代表者がいました。村役人は名主なぬし(関西では庄屋しょうやという)、組頭くみがしら百姓代ひゃくしょうだいの3つの役で構成されました。

江戸時代の村(村役人・五人組の図)画像

  • 名主(庄屋)・・・村の最高責任者
  • 組頭・・・名主の補佐役
  • 百姓代・・・百姓の代表者

 

 

百姓の村の「五人組」制度

幕府は村を安定しておさめ、年貢の取り立てがきちんと行われるよう、村の中に五人組ごにんぐみをつくらせました。五人組は、近所の家で5を1組にして連帯責任れんたいせきにんわせました。

 

>連帯責任とは、5戸のうち1戸でも年貢がおさめられないなどのルール違反いはんがあったら、5戸全員がばっせられるしくみです。

>百姓は五人組の制度によってたがいに助け合うとともに、1戸でもルール違反や犯罪はんざいが起きないようにおたがいに気をくばりました。

 >百姓の中にも、自分の農地をもつ本百姓ほんびゃくしょうと、他人の農地を借りる水のみ百姓がいました。

 

五公五民の重い年貢

百姓はぜいを年貢でおさめましたが、収穫しゅうかくされる米のうち5わりを年貢としておさめ、残りを自分の家のものとしました。これを「五公五民ごこうごみん」といいます。

  • ・・・年貢(税)でおさめる
  • ・・・自分の家で食べる分

 

※年貢は検知けんちによって収穫できるお米の量を予想よそうし、それをもとにおさめる年貢が計算されていました。検知した時の予想よりたくさん収穫できれば手元てもとに残るお米はえます。

地域ちいきや時代によっても年貢の割合わりあいことなります。

解説!「19.江戸時代③ 武士や百姓の身分制度」おしまい