解説!武士や百姓の身分制度
豊臣秀吉が行った刀狩などによって百姓(農民)と武士との区別をはっきりさせる「兵農分離」がすすみ、江戸時代にはさらに区別が強まりました。
このページでは、江戸時代の身分制度と武士や百姓それぞれの身分やくらしを取り上げています。
このページの歴史年表
時代 | 年代 | 主なことがら |
江 戸 時 代 | 1603 | (江戸幕府ができる) |
1615 | (武家諸法度) | |
1625 | 五人組の制度 | |
1639 | (鎖国の完成) | |
キーワード | ||
士農工商 武士 苗字帯刀 百姓 村役人 五人組 五公五民 |
江戸時代の身分制度
江戸時代の身分は、「士農工商」という4つの関係に分けられました。
- 士・・・武士
- 農・・・百姓(農民)
- 工・・・職人(工業者)
- 商・・・商人
↑ 江戸時代の終わりごろの人口構成
武士は全体の7%、百姓は全体の84%の人口をしめました。
武士の子は武士、百姓の子は百姓となり、他の身分に変わることはほとんどできませんでした。
武士の身分の区別
武士は将軍をトップにして、御三家や親藩・譜代・外様の大名に分けられ、さらに家系(家がら)によっても上下の関係がありました。
>将軍の家来は直参といわれ、大名の家来とは区別されました。
>直参にも旗本(将軍に会える家来)と、御家人(大名に会えない家来)がいました。
武士にだけ許された「苗字・帯刀」
武士は「苗字・帯刀」といって①苗字を名のること、②刀をさすことが許されました。武士は領地の百姓が年貢をおさめ、これを主な収入源として生活しました。
>武士は人口の7%しかいない中で百姓などをおさめるため、武器を持ち、武士に有利な制度をつくって権力を保ちました。
村のしくみと百姓のくらし
百姓の村には村役人という百姓の代表者がいました。村役人は名主(関西では庄屋という)、組頭、百姓代の3つの役で構成されました。
- 名主(庄屋)・・・村の最高責任者
- 組頭・・・名主の補佐役
- 百姓代・・・百姓の代表者
百姓の村の「五人組」制度
幕府は村を安定しておさめ、年貢の取り立てがきちんと行われるよう、村の中に五人組をつくらせました。五人組は、近所の家で5戸を1組にして連帯責任を負わせました。
>連帯責任とは、5戸のうち1戸でも年貢がおさめられないなどのルール違反があったら、5戸全員が罰せられるしくみです。
>百姓は五人組の制度によって互いに助け合うとともに、1戸でもルール違反や犯罪が起きないようにお互いに気を配りました。
>百姓の中にも、自分の農地をもつ本百姓と、他人の農地を借りる水のみ百姓がいました。
五公五民の重い年貢
百姓は税を年貢でおさめましたが、収穫される米のうち5割を年貢としておさめ、残りを自分の家のものとしました。これを「五公五民」といいます。
- 公・・・年貢(税)でおさめる
- 民・・・自分の家で食べる分
※年貢は検知によって収穫できるお米の量を予想し、それをもとにおさめる年貢が計算されていました。検知した時の予想よりたくさん収穫できれば手元に残るお米は増えます。
※地域や時代によっても年貢の割合は異なります。
解説!「19.江戸時代③ 武士や百姓の身分制度」おしまい
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